10. 4月11日、被災地名取へ

 震災のちょうど1か月後、始めて被災地名取へ。夜行バスで仙台に着くと、なんとJRが止まっていた。再開していたJRは、7日の地震で止まったままだった。

 自宅で仕事をしてもらっていた社員に迎えに来てもらい、気になっていた、閖上(ゆりあげ)地区へ。

 名取の市街地から、閖上の海に向かう。うちの会社を過ぎたところから、急に左右の田んぼの様子が変わる。最初は何かよくわからなかった。よく見ると、タンスとか、車とか、ガレキがいっぱい。すぐに、道路上に船があって驚く。

 東部自動車道をくぐったところから別世界。5差路を過ぎて、閖上の街はすっかり戦場となっていた。

 「閖上の街はなくなってしまったのよ。」少し前の友人のメールを思い出す。

 行く前は、名古屋で待つ夫に見せようと、写真を撮ってくるつもりだった。
カメラを2つ持っていた。

 でも、結局、写真を1枚も撮ることができなかった。

 この街で子供達は育った。閖上わかば幼稚園はどこにあったのか、荒野と化していた。ちびっこ空手で通った体育館は壊れていた。ママ さんコーラスで、PTA役員会他でよく行った公民館は建物は残っていたけど、見るも無残。ピアノの先生の家(7丁目)は何もなく、家の基礎だけだった。1 丁目を除いて、2丁目から7丁目はほとんど何もない。
建物が残っている1丁目も1階は津波被害でひどい状況。
今までどこにあるのかよくわからなかった、日和山。高さ6メートルくらいの小さい山が、遠くからよく見えた。日和山の上から360度見渡すと、涙が止まらない。言葉が出ない。目の前の光景が信じられない。TVで見るより、現場は壮絶で悲惨だった。

 子供の同級生のお母さんに会った。”うちはあそこにあったのよ。”彼女が指差す先は、基礎だけが並んでいて、かつて家が並んでいた ことがうかがえるだけだった。当日のこと、他の同級生のこと、亡くなった子のことなど聞かされた。私が、今名古屋にいること、震災直後に市のホームページ を臨時で更新し、新たに作った携帯サイトは今も更新していることを話すと、「そうだったのー、携帯サイトは毎日見てるわ。まだ見つからない人いるから」っ て。身近な人にお役に立てていることがわかり、やっていて良かった、と思う。

 その後、市役所へ。こんな時だけど、新年度なので、今年度の契約とか、打合せとか。
市役所の職員の人達が当日から1か月間どんなに大変だったか、いろいろと話を聞いた。こんな時、お役所職員は大変だ、やっぱり。家族が行方不明や、家が流 されたような人も、業務優先。市民からすれば当たり前!と言ったって、職員だって人間。どんなに家族のことが気になるか?それから商工会でも、震災後の話 や、事業所会員の方で亡くなった方の話や、被災した事業所のことなど教えて頂いた。

 夕方、市役所ロビーにいると、大きな地震が起きた。私と一緒にいた娘は大騒ぎ。
「地震じゃない?大きいよねー。」
でも、大騒ぎしているのは私達だけ。すぐにロビーのTVで、震度4の地震とわかった。

 怖いと思ったのは、地震ではなく、むしろ、震度4の地震で誰も騒がないことだった。 
日常的に慣れてしまっているということ??

 夜行バスで再び名古屋に戻るため、仙台へ。
そこへ、旅行会社から連絡があり、本日の夜行バスが運行取りやめという連絡が入る。
先ほどの地震で、東北自動車道の途中、福島が震度5強で高速道路が封鎖されたからと。

11. 衣類が足りない?

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