平成23年3月11日、午前中まで名取にいました。ちょうど2日前(9日)の震度5強の地震を受け、その対策について関係者と議論していました。そして、数日前に入った横浜での商談のため、11時26分の新幹線で東京に移動していました。
商談前にビックサイトで展示会を見て、ゆりかもめの駅で、社員に用があって電話をしたら、「すごい地震です。今までに体験したことがないような。あー、これはすごい」と冷静な解説。(2日前くらいの地震かしら? Sさんは言うことが大げさだからと思いつつ)
“じゃ、又後で”と電話を切った。すぐにスイカのカードで改札をピッと抜け、エスカレータをあがって、ホームに行ったところで、すごい揺れ。立っていられなく、柱につかまった。
近くにいた人達と、知らないもの同士会話を交わす。“さっき、宮城で揺れたって言った直後だから、震源は宮城の方かも” と自慢げに言ってみた。「確かに震源は宮城沖だ」って近くの人が携帯で確かめた。
ゆりかもめの電車は、まるでおもちゃみたいに、左右にとんでもなく揺れて、それでも何人かの人が乗っていたけど、さすがに危険を察知して全員降りた。そして、アナウンスが流れ、ホームから下に降りるようにと。全員が改札階に避難した。
そして、待つこと30分余り。電車は再開の目途がなさそう。ゆりかもめっていう電車は地震に弱いようです。アナウンスで、「都営バスは運行しているようです。」とあったので、バス停まで行ってみると、長蛇の列。
来るバス、来るバス満員で、ほとんど乗れない。隣の人達が携帯のワンセグで映像を見ていて、「わー、車が流れている!」って騒いていた。ちょっとのぞいてみて、何だろうと思い、私もワンセグで見ようとするも充電不足で見えない。社員何人かに送ったメールにようやく一つ返信。「地震は無事だったけど、建物危険だからみんなで車の中にいる」って。
3時間ほど待って、ようやくバスにむりやり乗った。息もできないほど満員。
豊洲駅でギリギリ降りる。ここから地下鉄有楽町線に乗ろうと思っていたら、なんと、首都圏全て電車が止まっている、ということを知る。
最悪――!なんて運が悪い。(この時点ではそう思った)
地下の駅改札前のスペースには、多くの人が床に座っていた。少しその場にいたけど、とてもじゃないけど寒い。一度地上に出て、飲食店を探すけど、どこも閉店。居場所がない。午後6時。とりあえず食糧を確保しようとコンビニに入る。
すごい列。すぐ前の若者2人がカロリーメイトを、ガーッと20個も30個もカゴに入れる。ホワイトデーのクッキーもみんな買っている。とにかく、ポテチでもなんでも食べるものなら何でも。この人達何?と思ったけど、結構そんな人がいっぱいいる。どうやら、会社の課や、階の代表で買い出しに来ているみたい。近くの会社の人達がビルの中にいるようで。そんなことで、コンビニは、お弁当の棚はもちろん空。お菓子や、その他なんでも、みるみるうちになくなっていた。私はパンと少しのお菓子を買うことができた。
地下鉄駅に戻って、立っているのも疲れるので、壁際にしゃがみこむと、近くの人が新聞広告をくれた。とにかく寒い。「寒い、寒い」と言っていたら、更に、近くの人がダンボールの切れ端をくれた。おしりの下にダンボールがあるのとないのでは大違い。感謝!!
それにしても、こんな状況に遭遇してなんて不幸なんでしょう?(この時はそう思った)
夜10時半過ぎ頃、ようやく地下鉄有楽町線再開。池袋止まり。
池袋では、実に、1億総浮浪者状態。何列にもなって、地下通路に人が座っている。
トイレは、100メートルくらいの列。
その後、池袋に住んでいる娘のところでTVを見て、始めて事の重大さを知った。
TVで流れている映像は、名取の津波映像だった。
数年前にTVでスマトラ沖地震の津波映像を見た。津波の威力はすごいと思った。
でも、それはよその国のことだった。
まさか、名取で起こるとは。